Priddy's Letter in English

 

当時緊急着陸をしたパイロットのクランシー・プリディ氏から美馬町立美馬町中学校へ下記のメッセージ を伝えて頂きたいと言付かりました。御本人様も是非参加したいと希望されておられました。 

 

こんにちは!私の名前はクラレンス・プリディーです。元米海軍のキャプテン(大佐)で、今は退官して います。今年の1214日に皆様とお会いすることができませんので、その代わりに196011月にあなたの 町の近くで起きた事件についてEメールにてお話することに致しました。

 

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その当時、私は大尉で日本の厚木基地のVR-21という空母搭載航空機派遣隊に所属していました。事故の日、厚木基地から沖縄県那覇市の湾岸で運航 をしている航空母艦USSオリスカニー(米国艦船)へ乗客員を乗せ、厚きへ戻る予定でした。搭乗員はペ ンシルベニア州から共和党国会議員のヒュー・スカット氏(予備の海軍大佐)、ポール・シュレゲル2佐 (7艦隊のスタッフ)、VR-21厚木派遣隊の責任官ジャック・ラムジー2佐(私の副操縦士)、アート・タリー3曹、ハーマン・トリ ューマン大尉、そして後にUSSオリスカニーの司令官になったチャールズ・イアリベノ2佐でした。イ アリベノ2佐の兄弟ジョン・イアリベノ大尉は、後にオリスカニーの指揮をとりました。これは米軍歴史 上、同じ船の指揮をとった唯一の兄弟です。

 

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オリスカニーへのフライトは多事ではなかったです。燃料補給し、乗客員を乗せ、米海兵隊岩国航空基地 へ出発しました。岩国基地では厚木基地へ向かう前に再度燃料補給をする予定でした。岩国へ向かってい る途中で、飛行機の発電機の積み過ぎで電機の問題が生じ始めました。それで出来るだけたくさんのフラ イト機具とラジオを消して、発電機の重荷を減らし岩国へ向かえるようにしました。岩国へ向かっている 時、雲の中を飛行しており、地上を見ることができませんでした。 

 

岩国から、GCA(進入管制)レーダーによる着陸を始めるように連絡がありました。進入する途中で、 全ての電機のパワーが切れたので、全ての主要なフライト器具とラジオが作動不能になりました。フライ トの器具もなく、地上の管制官と話をするためのラジオもなく、我々は一番ベストの方法は、進入を止め 、着陸復興し、高度を上昇し始めることで、そうすることによって近くの山に墜落しないだろうと判断し ました。上昇中、山から離れた地域に向かうため左に曲がり、視界が良いと思われる海の方へ東に向かい 、地上が見れるように雲の下を飛行することができ、徳島の海上自衛隊徳島航空基地から有視界飛行がで きるように上空通過をすることにしました。 

 

東へ20分ぐらい飛行した後、雲の間が見え、地上を見ることができたので、離陸進中をするために下降始 めました。不幸にも周りにはたくさんの雲があり、はっきりした飛行経路を見ることができませんでした 。広くかなり滑らかな河床を見た時は、日も暮れ始めており、燃料も少なくなっていました。我々は最善 を尽くしたので、山の中へ飛行しリスクをとるよりも河床で胴体着陸をするほうがベストだと判断しまし た。 

 

着陸をする場所に誰も人がいないことを確実に確認するために河床の上を横切りました。そして、着陸進 入を始めました。着陸するちょっと前に、プロペラのピッチを変えて抵抗を少なくしました。また着陸時 に起こると思われる、プロペラが河床の石にあたり、回転しているプロペラの破片からダメージを最低限 にするためにエンジンを切りました。そして、我々は着陸することができました。飛行機の胴体は600フ ィート(___m)外滑りして、突然ストップしました。幸いにも火も出ず、全員が怪我なく飛行機から 脱出することができました。そして美馬町の人々が我々を救助にやってきてくれました。飛行機を安全に 確保し、支援して頂き、我々が岩国基地からの救助を待つために我々を警察署に連れて行ってくれました 。 

 

飛行機から脱出する時、スコット国会議員が私のところに近づいてきて、こう言われました。“プリディ 大尉、民主党の知事が新しい民主党の議員を任命することができないようにしてくれてどうも有難う”。 そして彼はポケットから電機の剃刀機を出して、こう言われました。“これ、プリディー。これを使った ほうがいいよ。私達も良く見られたい。なぜなら誰と会うが分からないからな。報道の前では良く見られ たい。やっぱり私は再選するために頑張ろうと思う。”これはユーモアのある発言で、事故後の緊張感と ストレスを和らげてくれました。

 

このような緊急のための安全方法とたくさんの時間と訓練をしたため、全てが無事解決して、我々は無事 に緊急着陸をすることができました。しかし実を申しますと、事故現場から歩いて離れて2時間半ぐらい した時、岩国基地から救助隊が来るのをホテルで待っていた間、私の体はぶるぶる震え始めていました。 なぜならその時やっと、事故の状況また影響について気づいたからです。その時、はじめて我々全員が無 事に今生きているということがどんなに幸いなことかということを実感しました。

 

 私はいつまでも美馬町の人々の優しさと厚意を思い続けるでしょう。またいつか美馬町の皆様の御親切 と御友情に敬意を表するために、美馬町に戻れる日が来ることを希望しております。私は今は軍から退官 しております。そしてカンザス州トンガノキシーで妻バージニアと共に小さい農場で暮らしております。 ペットは、ベルギー・ドラフト馬、モーリー・らば、ポットベリー豚、うさぎ、犬と猫を数匹、飼ってい ます。これらのペットはとても面倒をみるのが大変ですが一緒にいると楽しいです。私は式典に参加して 皆様と一緒にお祝いすることができませんが、この手紙が私の代わりとなってくれることと希望致します 。皆様の美馬町除幕式での盛会をお祈り申し上げます。皆様はいつまでも私の心の中に留めて置きます。

 

                                                                                     クランシー プリディー

 

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